ゆるつなぎ

我侭な人は、「私はあなたにこうして欲しい」と言えない。個人的な要求をするなんて、我侭な人みたいだから。だから、「普通はこうする」「これが常識」「だからあなたは~すべきだ」という言い方をする。この方法なら、自分は我侭を言っているのではなく、単に正しいことを言っているだけだと思える。

つまり、自分の我侭さを認めたくないという我侭だ。

otsune
俺の思う「天才」の定義があって、それは「飽きる才能が無い人」
nora
あー
otsune
本能がブッ壊れている
飽きる能力がないと動物は死ぬけど
飽きずにトレーニングを続けられる人を結果的に天才と呼ぶんじゃないかと
fallende:

Eunice (di Raven Yeh)

fallende:

Eunice (di Raven Yeh)

 「日本は、幸せのものさしの種類が少ない。」

 男ならたくさん稼いで成功すること。
 女ならお金持ちでイケメンでやさしい旦那さんをもらって子どもに恵まれること。
 日本人の幸せは、大きく分けてその二つしかない。

 そして、その二つのものさしで、自分を測っては、 「わたしの人生ってイケてる!」「俺の人生終わった…」 と一喜一憂をしている。

 これはあまり良くない状況かもしれない。

 昔、オーストラリアに長期滞在したとき、
 「日本に帰ったら、また現実がはじまる。帰りたくない」
 と海辺で仲良くなったオッチャンに愚痴ったことがあります。

 そしたら、オッチャンは、ビールを片手に
 「元気だしな。幸せは一つじゃない。もっとたくさん種類がある」
 と完全に酔っ払った状態で教えてくれました。しかし、その言葉には真実味があって、とても胸に響きました。

 そこから先は、英語だったので、あまり覚えていないけど、たぶん次のようなことを言われました。「誰かが決めた幸せのものさしにハマらないからって、落ち込むな。幸せのものさしは、自由に決めて満足すればいい。」

 目からウロコでした。
 たしかにオーストラリアを見回すと、そうでした。
 いろんな幸せな人がいました。自給自足を楽しむのもアリ。男が子育てを楽しむのもアリ。ホームステイで世界中から子供招くのを生きがいにするのもアリ。 昼から浜辺でビールを飲むのもアリ。会社を4時に終えて、そのあとサーフィンを楽しむのもアリ。バーベキューを生きがいにするのもアリ。

 日本でも、こういう人はいると思いますが、まわりから認められてなかったり、痛々しかったりします。

 オーストラリア人は、それを心から楽しんでいる感じでした。
 幸せのものさしを、みんながそれぞれ作って、尊重しあっている。

 早く日本もそうなって欲しい。壊れたものさしは捨てて、みんながそれぞれ作ってしまえばいいのに。そうすればもっと、幸せになる人が増えるかもしれない。

自己評価が異常に低い人が、自分が獲得した知識に価値を見出していないために、その人しか知らないことがいっぱいあるのにもかかわらず「別に俺がしってる細かいことなんてどうでもいいよね」といって去っていこうとしている。残 った人は何が失われたすらわからない。
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 「礼儀正しい」ということは、つまり「油断しない」ということなんだね。

 対面している相手が、一体どんな相手なのか、何を考えているのか、まったく分からない、自分にいかなる敵意や思惑をもっているのか分からないという認識、油断しないという態度が、礼儀正しい姿勢に出るんだ。

 僕も時々、仕事で不作法な人に会う。挨拶をしないとか、とても高飛車な態度をとるとか。でも、僕はそういう人にたいしては、ある種の安心をしてしまう。というのは、そういう人というのは、結局たいしたことがないんだね。不作法な態度をとるというのは、相手を見くびっているということだ。

 見くびるというのは、失礼である以前に、認識が甘い、ゆるい、ということなんだな。

福田 和也『岐路に立つ君へ 価値ある人生のために』小学館 2002 (via mawhata, kojiroby-quote) (via usaginobike) (via hk2mrhu) (via fukumatsu) (via a2onaka) (via nonono613) (via nyapo) (via anyu) (via muhuhu) (via kkj114) (via katsuma) (via deli-hell-me) (via uowou) (via netinago99) (via em1) (via usaginobike) (via handa) (via cliqueclogs) (via shantihtown) (via ryuuya) (via cr96) (via hotmailtumblr) (via s-hsmt) (via lllkml) (via petapeta) (via rosarosa)

2011-03-03

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話しすぎる人間は他人の想像力を侮辱している ―アパッチ族の格言

ソーシャルは必ず崩壊するんですよ。

なぜかというと、コミュニティの内容をディープにすればするほど、新しい人が入れなくなってしまう。かといって、参入障壁を低くすると、もとからいたディープなファンの人がしらけちゃう。こういう仕組みで必ず崩壊するんですよ。

「諦めろ」というメッセージは「何もかも都合よく進む人生は諦めて、自らが主体的に動く覚悟を決めなさい」と読み替えてください